病気になったとき、多くの人は「なぜ自分が病気になったのだろう」と考えるのではないでしょうか。
昨日まで普通に生活していたのに、突然病気になれば、「これからどうなるのだろう」と不安になるのは自然なことです。
治療を続けてもなかなか良くならなければ、「自分の何が悪かったのだろう」と自分を責めてしまうこともあります。
しかし、病気になったことを、自分の考え方や生き方のせいだと決めつける必要はありません。
病気には医学的な原因があり、その原因を調べ、適切な治療を受けることが大切です。
その一方で、「なぜ自分なのか」という問いを持つことまで否定する必要はないのです。
この問いをきっかけに、自分の人生や、本当に大切にしたいものを見つめ直すこともできるからです。
ヴィクトール・フランクルは「人生の意味」を考えた

ヴィクトール・フランクルさんは、1905年にオーストリアのウィーンで生まれた精神科医であり、神経科医です。
フランクルさんは、人間を動かしている大きな力の一つとして、「人生の意味を求めること」を考えました。
フランクルさんが発展させた心理療法は「ロゴセラピー」と呼ばれます。
ロゴセラピーの「ロゴス」は、ここでは「意味」という意味で使われています。
つまりフランクルさんは、人間は「何のために生きるのか」という意味を求めながら生きる存在だと考えたのです。
この考え方が、病気や人生の苦しみを考えるときに、とても大きな意味を持ってきます。
フランクル自身も、想像を絶する苦しみを経験した

フランクルさんの思想を理解するうえで、第二次世界大戦中の体験を避けて通ることはできません。
ユダヤ人だったフランクルさんはナチスによって強制収容所へ送られ、アウシュヴィッツを含む複数の収容所を経験しました。
両親や兄弟、妊娠中だった妻を失うという、言葉では表現できないほどの苦しみも経験しています。
その体験をもとに書かれた代表作が『夜と霧』として知られる『Man’s Search for Meaning』です。
この本の中心にあるのは、「どれほど厳しい状況に置かれても、人間の人生から意味そのものが消えてしまうわけではない」という考え方です。
もちろん、これは苦しみを美しいものとして肯定する話ではありません。
フランクルさんが伝えようとしたのは、避けることのできない苦しみに直面したとき、人間にはその状況に対してどのような態度を取るかという余地が残されているということです。
フランクルは「人生には意味がある」と考えた

フランクルさんの思想を、とても簡単に表現するなら、「人生には意味がある」ということです。
そして、その意味はいつも同じ形で現れるわけではありません。
仕事をしているときに感じる意味もあれば、誰かを愛することの中に感じる意味もあります。
美しいものを見たり、誰かとの時間を過ごしたりすることにも、人生の意味を感じることがあります。
そして、どうしても変えることのできない苦しい状況に置かれたときには、その状況に対して自分がどのような態度を取るのかということも、意味につながるとフランクルさんは考えました。
ここに、フランクルさんの考え方の大きな特徴があります。
病気になったことを、自分を責める理由にしなくていい

ここは、病気で苦しんでいる人に伝えたい大切な部分です。
フランクルさんの思想から、「病気になったのはあなたの考え方が悪かったから」と考える必要はありません。
「前向きに考えられなかったから病気になった」と自分を責める必要もありません。
「病気の意味を見つけられない自分は駄目だ」と考える必要もありません。
病気になった人には、病気になった人にしか分からない苦しみがあります。
その苦しみを無理に前向きに解釈する必要はありません。
泣いてもいいのです。
不安になってもいいのです。
「治ってほしい」と願ってもいいのです。
「なぜ自分なの」と思ってもいいのです。
その気持ちを抱えたままでも、人は少しずつ前を向いていくことができます。
「病気になった意味」を考えることと、自分を責めることは違う

では、病気になった意味を考えることには、どんな意味があるのでしょうか。
私は、「病気になった原因を自分の心の中から探すこと」と、「病気になった後の人生に意味を見つけること」は別のことだと思います。
たとえば、「私はなぜ病気になったのだろう」と考えることがあります。
そこから、「この病気を経験した今、私は何を大切にしたいのだろう」と考えることもできます。
「これまで仕事ばかりしてきたけれど、本当は家族との時間を大切にしたかった」と気づく人もいるかもしれません。
「元気になったら、ずっとやりたかったことを始めたい」と思う人もいるかもしれません。
「自分と同じように病気で苦しんでいる人の力になりたい」と思う人もいるかもしれません。
これは、病気になったことを良いことだと決めつけることではありません。
苦しかった経験を、これからの人生にどう生かしていくかを考えるということです。
もし病気の中に「神様の意味」があるとしたら

ここからは、フランクルさんの思想をさらに深く考えてみたいと思います。
人によっては、「この出来事には神様の意味があるのではないか」と考えることもあるでしょう。
「神様が私に何かを伝えようとしているのではないか」と考える人もいるかもしれません。
「宇宙には私たちには理解できない大きな意味があるのではないか」と考えることもできます。
フランクルさんは宗教や超越的な意味を否定していたわけではありませんが、「この病気は神様があなたに与えたものだ」と個々の病気について断定したわけではありません。
フランクルさんの思想から言えるのは、人間には人生の究極的な意味を完全には理解できない部分がありながらも、それでも人生には意味を求めることができるということです。
ですから、「この病気には神様から与えられた意味があるのかもしれない」と考えることは、フランクルさんの思想から発展させた一つの哲学的な問いとして捉えることができます。
ただし、「神様が罰として病気を与えた」と考える必要はありません。
「病気になったのは自分の心が悪かったから」と考える必要もありません。
むしろ大切なのは、「この状況の中で、私はこれからどう生きるのか」という問いなのです。
「なぜ病気になったのか」から「これからどう生きるのか」へ

病気になったとき、人は過去を振り返ります。
「あのとき無理をしなければよかったのかな」と考えることもあります。
「何か間違ったことをしていたのかな」と考えることもあります。
しかし、過去を何度振り返っても、変えられないものがあります。
そこでフランクルさんの思想から、問いを少し変えてみることができます。
「なぜ病気になったのだろう」だけではなく、「これから私はどう生きよう」と考えてみるのです。
この問いに変わると、意識が少しずつ未来へ向かいます。
「治ったら何をしたいのだろう」と考えてもいいのです。
「病気を抱えながらでも、今日できることは何だろう」と考えてもいいのです。
「誰と一緒に生きていきたいのだろう」と考えてもいいのです。
このような問いが、その人にとっての新しい希望になることがあります。
「病気を治したい」という思いも大切にしていい

ここで、今回の「病気を治すのに思いも大切」というシリーズにつながってきます。
病気になった人が「病気を治したい」と願うことは、とても自然なことです。
「元気になりたい」と願っていいのです。
「もう一度、普通の生活をしたい」と願っていいのです。
「家族と旅行に行きたい」と願ってもいいのです。
「仕事に戻りたい」と願ってもいいのです。
「自分の好きなことをもう一度やりたい」と願ってもいいのです。
ただし、思いだけで病気が治ると考える必要はありません。
医学的な診断や治療を受けながら、その上で「私はこれから何をしたいのか」という思いを持つことが大切なのです。
実際に、フランクルさんの思想をもとに発展した意味中心心理療法は、進行がんの患者さんを対象とした研究で、人生の意味や精神的なウェルビーイング、生活の質などの改善が検討されてきました。
これは「思えば病気が治る」という意味ではありません。
病気と向き合う人の心に、意味や希望を取り戻すことが、心理的な苦痛や生活の質に関係する可能性を示しているのです。
病気を治すことだけではなく、その先の人生を見る

病気になったとき、どうしても「いつ治るのか」ということだけを考えてしまいます。
それは当然のことです。
しかし、フランクルさんの思想から考えると、「治ったら何をするのか」というところまで目を向けることができます。
病気を治すことは、とても大切です。
けれども、人生の目的が「病気を治すことだけ」になってしまうと、治療期間のすべてが苦しい時間になってしまうことがあります。
だからこそ、「治った後の人生」を今から少しずつ思い描いてもいいのです。
まだ治っていなくても、未来を考えていいのです。
まだ不安でも、夢を持っていいのです。
まだ自信がなくても、「こんな人生を生きたい」と願っていいのです。
その思いが、今日を生きる小さな力になることがあります。
病気を抱えていても、人生の意味まで失われたわけではない

病気になると、「今までの人生が全部変わってしまった」と感じることがあります。
できなくなったことが増えると、自分自身の価値まで失ったように感じることもあります。
しかし、病気を抱えていることと、その人の人生に意味がないことは同じではありません。
病気を抱えながらでも、人を愛することはできます。
誰かに優しくすることもできます。
美しいものを見て感動することもできます。
誰かと笑うこともできます。
自分の経験を誰かのために役立てることもできます。
そして、まだ見つかっていない新しい夢を見つけることもできます。
フランクルさんの思想を病気に重ねるなら、ここに大きな希望があります。
病気によって人生の一部が変わったとしても、人生そのものの意味まで失われたわけではないのです。
「思い」は未来を決める魔法ではなく、未来へ向かう方向になる

このシリーズでは、これまで「潜在意識」「自己暗示」「思い」などについて考えてきました。
フランクルさんの場合、「思い」の意味は少し違います。
思えばすべてが現実になるということではありません。
病気にならないように考えれば病気にならないということでもありません。
病気になった人が前向きに考えれば必ず治るということでもありません。
フランクルさんから学べるのは、どのような状況に置かれても、その人の中には「これからどう生きるか」を考える余地が残されているということです。
だからこそ、「私はどう生きたいのか」という思いが大切になります。
その思いは、病気を直接治す魔法ではありません。
けれども、治療を続ける力になったり、今日を生きる理由になったり、未来を見る方向を与えてくれたりすることがあります。
病気の中で自分を責めない、そして人生を諦めない

病気になったとき、自分を責めなくていいのです。
「どうして自分だけ」と思ってもいいのです。
「治りたい」と願ってもいいのです。
「治ると信じられない」ときがあってもいいのです。
それでも人生には、まだ問いかけることのできる未来があります。
「私はこれから何を大切にして生きたいのか」と考えてみることができます。
「この先、誰と笑いたいのか」と考えることもできます。
「元気になったら何をしたいのか」と想像することもできます。
そして、その未来に向かって、今日できる小さな一歩を踏み出していけばいいのです。
フランクルさんが教えてくれるのは、苦しみを無理に好きになることではありません。
苦しみを美化することでもありません。
どんな状況に置かれても、人間の人生から意味や希望まで奪われたわけではないということです。
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まとめ
ヴィクトール・フランクルさんは、人間には「人生の意味を求める」という大きな力があると考えました。
そして、避けることのできない苦しみの中にあっても、その状況に対してどのような態度を取るのかという余地が人間には残されていると考えました。
この考え方を病気に重ねるなら、「病気になったのは自分のせいだ」と考える必要はありません。
「神様がこの病気を与えた」と断定する必要もありません。
ただ、「もしこの経験にも何か意味があるとしたら、私はこれから何を大切に生きるのだろう」と考えてみることはできます。
病気になった理由を考えることと、自分を責めることは同じではありません。
病気を治したいと願うことと、病気だけを人生の目的にすることも同じではありません。
医学的な治療を受けながら、自分の心にも希望を持っていいのです。
まだ治っていなくても、未来を思い描いていいのです。
まだ不安でも、夢を持っていいのです。
そして何より、病気を抱えているあなた自身の人生には、病気とは別の大切な意味があります。
フランクルさんの思想から私たちが受け取れる希望とは、「必ず病気が治る」という約束ではありません。
それは、「どんな状況の中にいても、これからの人生をどう生きるのかを考えることができる」という希望なのです。
病気になっても、人生はそこで終わりではありません。
あなたの人生には、まだこれから見つかる意味があるのかもしれません。

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